趣味(11月)⇒調査へ
リタイアしてから趣味を探す人がいる。
自分の趣味って何だろうと考えた。
高校生の時は、天体観測や気象などのクラブ活動で、山に登ったり写真を撮ったり
していた。
軽登山であるが、そこそこ楽しく大学、社会人になった20代までは、夏休みなどで
定期的に出かけそこそこ楽しかったが、結婚を機に足が遠くなった。
天体観測は高校の時には、頻繁に流星観測に出かけたり、当時買った望遠鏡で
写真を撮ったりと忙しかったが、こちらもすっかりご無沙汰しており、時折
星空を眺めては当時を思い出したり、流星群のニュースを見て思い出したように、
近くの河原に夜中に一人で出かけたりしていた。
そう言えば、昨年5月に、息子が退職祝に望遠鏡をプレゼントしてくれた。
せっかくもらった望遠鏡も、たっぷりある時間があっても十分に活用されていない。
こういった趣味は、無理やりやるものではないと思っている。
いずれ、自然にやりたくなる時が来て、その時は毎日のように望遠鏡をのぞいているかもしれない。息子には感謝している。
写真は、それとなく続いている趣味かもしれない。
カメラこそ、一眼レフではなく、コンパクトカメラだけど、毎日の散歩に携えて、気が向けばシャッターをきっている。
散歩は趣味ではなく健康のためだけど、目的地として図書館を選んでいる。
毎日30分かけて図書館に通い、2時間ほど過ごして、また30分かけて家に帰る。
図書館ではもちろん読書しているが、何の脈絡もないのも、歯ごたえが無い。
自分が40年以上、関わってきたITについては、とりあえず出版という形にはした。
その中での自分の思いを確かめたい気持ちから、IT関係を次から次へと読んでいる。
出版の中で、テーマにしたのは、ITと社会の関わりだった。
ITに対する軽視や理解不足が日本の停滞や遅れを招いたのではないか。
仕事としてその末端で関わった者の思いは本にした。
しかし漠然とした思いを、どんどん掘り下げて何か答えを見つけたい。
自分なりに「調査」と呼べるか、自己流の「研究」と呼べるかわからないが、一つの
方向性をもって読書を重ねている。
感想も手帳にメモしているので、振り返ってみると、一つながりの流れになっているのがわかる。
読んでも疑問が解消しない事が残るし、また次の本に答えを見つけようとしたりを続けている内に、一つの体系だったまとまりができているような気がしてきた。
ITは新しい分野でもあり、出版された年代にも気を付けないと、本での主張や事象が古くなっている事もある。
その為、出版年や著者の略歴等は、一緒にメモしている。
図書館は思ったより新しい本があるが、同じ著者なら最新刊を読むようにしている。
さらに、最新の主張や事実を確認するために、別のもっと大きな図書館へ行ったり
書店で購入したりすることもある。
これからは、事実確認のために、白書などの行政資料や、著者のブログを探したり
論文にもあたってみようと考えている。
もう一つの方向は就職だ。
これもやはりIT系になるが、自分のように、エンジニアとは言えず、文系出身でマネージメントあるいは、「情報システム部門」出身者として、目指す方向性を探す中で、ITコンサルタントあるいはシステム構築での上流工程さらにはユーザー側のスキルとしての「要件定義」に関する本を読み進めている。
目的は自分にあった仕事が世の中に存在するか。そのために足りないスキルをどう補うかにある。
最後に、IT疲れというか同じ方向性で疲れたりバランスが悪く感じた時に、それとはとは違う流れで本を探している。
経済、政治系というかここ30年の日本の停滞といった時には、IT以外の要因も眺めておいた方がよいかなという程度だが、最近は財政特に、消費税や、国の借金についての様々な異なる立場からの著作を読み進めている。
結果としては、IT系の調査に深みを与えたり、見方を広げたりに繋がるのかもしれない。
この事を今は飽きずに時間をかけているが、これは趣味と言えるのだろうか。
結果は、またどこかでまとめたいが、ここでは収まりきらないような気がする。
別のブログにするのか、本という形にするのか、まだ頭の中でまとまらない。
メンタル(10月)
最初は、長年の仕事から解放された感もあり、心も少し軽やかだったが
それもあまり長くは続かなかった。
それ程、仕事人間では無かったのに、自由になったのに、なぜか自分が糸の切れた
たこのようにただ家の周りを漂っているように感じられる。
散歩していて、道行く人を見ると、皆、働いているんだなあと、じぶんだけ別の
世界に取り残されたような気になる。
今まで、月に1回程度だけど、近所の仲間で飲んでいた。
皆、忙しい中、なんとか日程を調整していたが、自分だけはいつでもフリー、
皆はいままでと同じように働いているので、何かギャップを感じてしまう。
家族との間合いも変わってくる。
今まで、長時間かけて通勤していた。そのため、土日や長期休みに何とか家族との時間をとる事に努力してきた。
これが毎日、しかも1日中、うちにいて妻とは、顔を合わせる。
子供はもう会社勤めで、うちにいない。
何か、常に家族の顔色をうかがうような自分が嫌になる。
仕事は見つからない。
不採用通知を受け取るたびに落ち込む。
趣味に目を向ければと思うが、今まで時間が無くてできなかったと思っていたことが
たっぷりある時間の中でなぜかそれ程やる気がおきない。
この心のもやもやはどこから来るのか。
一つは、人間常に、何か評価を求める。そこに生きている意味を見出す。
会社というところは、よくも悪くも評価がくだる所だ。
誰からも評価が、なされないと何か落ち着かない気持ちになるのかもしれない。
唯一、評価を受けるのが、家族だ。
ちょっとしたことに落ち込み、気持ちを左右される。
他に、評価される対象を作ればよいのかも。
写真の趣味は、通常は自己満足だ。誰かに評価される事はまれで、よほど
優れた写真を撮らなければ、満足するような評価は得られない。
そう考えると、仕事でなくても小さな人間関係を作る事はいい事かもしれない。
しかし、もしかしたら、根はもっと深いところにあって、職場を含む人間関係が
そのもやもやした何かを忘れさせてくれていたのかも?
わずらわしいと思っていた仕事のプレッシャーが無くなり、自分と向き合う事で
その何かが少しづつ見えてきてしまっているのかもしれない。
それは迫りくる人生の終わりだろうか。客観的に見れば、今まで重ねて来た
年数は明らかだが、自分自身の認識が、年相応に変化していない。
考えている事は、若い時のままかもしれない。
年齢から逆算する残り時間が、どうしても自分の実感と結びつかない。
死は、だれにも必ず確実にやってくる。
自分にはその備えができていない。
怖いというのでもない何か夏休みがおわりに近づいた頃、やり残した事を
意識するような焦りににた思いかもしれない。
就職する事はこの焦りを忘れさせてくれるかもしれないが、本当に自分を
納得させてくれるものを見つけるために、今のこの自分のもやもやに
もう少し向き合ってみるのも必要かもしれない。
就職(9月)-1
65歳で退職して1年半が過ぎた。
退職後の1年を振り返って、様々なトピックを12カ月の内、最も関連する月に
それぞれ割り振りテーマとして順番にまとめてみた。
今回は9月、この月に一つのピークだった就職活動について、まとめてみようと
思う。
ただ、就職活動は、ずっと継続していて、もう一つのピークが、今年の1月だった
ので、複数回に分けてまとめる事とした。
就職は、退職直後、もっと言えば退職前から考えていた事だけど、今から思えば
随分アバウトに、のんびり考えていた。
退職直後と今では随分考え方が変化してきた事を感じる。
退職直後は、少しゆっくりしたいと考えていた。
もちろん、年金で生活できるのか、家計をまとめ、すぐにでも探す必要があるか
確認しつつであるが、この辺は「家計・年金(5月)」にすでに書いた。
ただ、雇用保険の事もあり、ハローワークには、4月13日に、手続き等相談に
早々と行っていた。
ただ、求職登録も近隣のパートを希望していて、できれば前職と同じ業界でITの経験
を生かせる分野を窓口では相談した。
検索してすぐに、ITでなければ事務でいくつかの仕事がある事を教えてもらったので、これはきちんと希望すれば何とかなるのかなという感触を得た。
慌てて働く前に、よく就職事情を把握した上で、7月くらいまでは、のんびりしよう
と考えていた。
4,5,6月と、身の回りの事や、前職の人などとの飲み会、出版の準備や、調べたい
事を図書館で情報収集(研究まがい)という気ままに過ごしてしまい、目標としていた7月になってしまった。
ただ、全く何もしていなかった訳ではなく、近隣で前職と同業界の中堅どころをターゲットにして、自分の特徴ややりたい事を一方的に文章にしてトップあてに送りつける
という今から思えば無謀で就職事情を知らない振る舞いを実行していた。
やってる感はあったのだが、当然の事ながら返事はなかった。
7月は過ぎ、8月には飽きもせずこの方法を拡大していった。
近隣のこの業界をグーグルマップで検索し、8月のノートには、近隣の37か所が
リストアップされ、希望に応じて◎、〇などと勝手にマークを入れ、しかも通勤時間を検索した結果が記載していた。
このうち24か所がEXCELに転記され、ホームページを検索して、窓口(人事、
情報システム部門)、住所などの連絡先などを表にまとめていた。
手法は何の返事もなかった最初のターゲットと全く同じ方法でトップあての手紙を
郵送した。
ハローワークではパートを希望登録したくせに、この手紙では、IT職種しかも
CIOを思わせる経営に近い顧問格のような職業イメージを希望していた。
いずれも、ホームページ上では、求人無しとあったのだけれど、CIOであれば
一般の求人窓口とは違うのではと勝手に判断して行った。
結果は、返事があればよい方、全く無視も半分くらいで、返事はすべて「求人は
しておりません」あるいは、定年は65歳なのでという答えだった。
履歴書を書いて具体的に、求職先に郵送するような就職活動は一旦ここでピークを迎え暫くは、ノートに書かれた具体的な就職活動は、見当たらない。
ハローワークで言われた事だけれど、前職で管理職、しかもある程度の規模の会社に
勤めていたシニアは極めて就職先のマッチングが難しい。
自分の経験を生かしてというところにこだわると見つからない。
これは、今、現在の自分についても言える。
就職活動の具体的な記載は、次の1月までほとんどなくなっていた。
自分の経験を生かしてというこだわりは持ち続けたまま、どうアプローチを変えて
いったのか。
次回の就職に関するテーマは、この1月になる。
出版(8月)-7
著者名はなかなか決まらずしばらく空欄にしていたけれど、もう決めなければいけない
限度に来ていた。
最初から本名は使わないつもりだった。
実際の話なので、徹底的に、個人情報はふせたかった。
でも、何も根拠のない名前も考えにくいので、本作の内容に沿った当て字?を考えた。
あまりリアリティーが無いのも、みっともないので、実際にありそうな苗字、名前の
組み合わせを同じ読みで漢字を変えていくつか考えた。
ところがインターネットで検索してみると、これがヒットしてしまう。
実在の人物に迷惑をかけたり、間違われたりするのも厄介なので、同じ読みになるのは
しかたないとして、漢字を変えてやっと落ち着いた。
次に、タイトルだけど、最初から、頭の中に浮かべていたものがあった。
編集の方に相談したところ、それはいいですねとはならなかった。
何かひっかかる事があるのかもしれない。
40年以上前から始まるITの大きな流れと、自分の経験を重ね合わせてどう
表現するか、それで読者の興味を引けるか5~6個も並べて、打ち合わせ時も、少し
時間をとって話し合ったがどうしてもしっくりこない。
編集の方も、最初に自分の中で決めていたタイトルを気に入っていらっしゃるのではないかと言われ、そうかなと思った。
結局、自分のこだわりかもしれないが、最初に考えた書名に落ち着いた。
「ITと私の40年」
副題には、「情シス・内側からの報告」としてよりわかりやすくした。
後は、配本を待つばかり、最初は1月の予定だったが、編集の方の交代もあり、また
自分としてもあまり慌てて決めたくない事もあり2月とした。
年が明け、配本を前にして、見本(著者用)が送られてきた。
印刷され、カバーもかけられ、書店に並ぶ前の、自分の成果物を見て満足していた。
家族にも無理やり見せて、感想を求める。
今までの口だけの話ではなく、実物が目の前にあると、それなりに驚く。
配本する書店のリストが送られてきた。
たった200冊だけど、それなりの有名書店を含む全国にまたがっていた。
近くの書店には5冊、それ以外は1冊づつだけど、自分の書いたものが、人の目に
触れる。
息子には、サンプルで送られてきた20冊から、我が家に来た時に直接渡した。
弟や、近所の飲み友達、前職の知人には、メールで配本リストを伝えた。
大学時代の友人たちとは、1月に飲む機会があり、配本リストを渡した。
それでも、10人を少し超えるぐらいだったと思う。
近くの本屋には、少し遠いけれど、自転車で確かめに行った。
少し、高い場所だったけど確かに、存在した。
大きな書店で、たった1冊の配本を見つけるのは結構大変で、ほとんどの知人は
アマゾンなどのネットで、購入してくれた。
新聞広告にも、たくさんの配本の一つとしてだけれど、しっかりと並んでいた。
配本日は2月10日、しばらくして、コロナの騒ぎが大きくなり、緊急事態宣言が発令され、書店も閉じてしまった。
タイミングとしては最悪だったけど4月か5月だったか、販売状況の報告では、
100冊近くにはいっていて、予定販売数量を150冊として、印税の連絡があった。
万が一と思った重版にはならないと思うけれど、国会図書館にも納品され、世の中に
自分の足跡を確かに残すことができたと思う事ができた。
夢は、夢として残すけれど、現実にも、自分の今後に役に立つこともあるかもしれない。
出版(8月)-6
原稿の校正が上がってきた。
至る所に、赤が入っていたが、誤字脱字などケアレスミスで根本的な修正は
あまりなかった。
ただ、文章の言い回しなど微妙な変更が提案されていて、読みやすくなっていた。
さすがプロの仕事、自分に無いセンスと、おびただしい修正ができる根気の良さに
関心した。
電話で、実際に読んでみての感想なども編集の方に聞く事ができた。
作品中のあるシーン正確に振り返って、その表現が印象に残りますなどと
言われれば悪い気はしない。
とにかく、その全頁について、校正を受け入れるか、原稿のままでいくか、また別の表現を探るか答えを出していかなければならない。
四六時中、手には校正された原稿を持ち赤ボールペンを手に、答えを書き込んでいった。
中には、今更ながら、内容を大きく変えた箇所があった。
自分の経歴をベースに書いているので、事実なのだけれど、それゆえに全てを書けば
迷惑をかける人もいるかもしれない。
そこまでいかなくても不快に思う人はいるだろう。
本なので、そういった感情を交えた部分をすべて取り去ってしまえば面白くなくなる。
読者の興味は、すでに表面化しているコンピュータの進化の歴史だけでなく、裏にある
個人的な経験やそれにまつわる気持ちの変化にあり、作品に深みを与える大事な要素だと思う。
どこまで書くかそのバランスが難しい。
少なくとも固有名詞は出さない。人名はもちろん、地名についてもと考え本社の所在地
なども、具体的な地名を削除して、都心などの表現に変えた。
難しいのは、商品名で、コンピュータの歴史を書くのに、商品名やメーカーの名前を外すと、具体性や説明が格段に落ち、わかりにくくなってしまう。
客観的な事実だけなら、良いのだけれど、使い勝手など主観的な評価や、事実であっても、ネガティブな事が書きにくい。
誤解もあるかもしれないので、仮に訴えられたりしたらどうしようと急におじけづいたりして、商品名を下ろしてソフトウェアの種類などの一般名に書き換えた部分もあった。
編集の方に相談して、細かい具体的な部分については個別に、社内で法務の担当に確かめてもらったりした。
また、作品中に出てくる個人も、ここが、ライバルであったり、ぶつかったりした相手だと誰だと想像されるのも避けたいと考えてしまう。
長年、会社勤めしている中では、かなりショッキングな事や、不幸な事も目にする。
そういった事も最初は、そのまま書いていたのが、かなり表現を弱めたり、その箇所を全く削除したりした。
9月、10月は、このようにして過ぎて行き、11月のはじめに、編集者の方と
打ち合わせを実施した。
無ければないで、編集作業自体は、電話や郵送、メールのやりとりで進んでいたけれど
やはり直接会って迷った事などを確かめたかった。
また、出版の体験であれば、なおさらである。
という事で、出版社まで、出かける事になった。
一度、この話があった3月に、出版社には出向いていたけれど、実際の編集作業の
中でアポイントをとって打ち合わせをするのはまた臨場感が違う。
受付で、担当の方を待ち、打ち合わせのテーブルに案内され、あっという間に時間が
過ぎてゆき1時間はたっていたかと思うが、一生で一度の体験だったかと思う。
カバーデザインのサンプルも見せていただきとても作品にあったイメージを考えられていて、一度で気に入った。
気持ちよく送り出されて、帰りの道を散策しながら家路についた。
最後まで残ったのが、作品名と著者名だった。
出版(8月)-5
編集
契約後、出版社からはしばらく連絡がありませんでした。
編集者との接点や、本を作り上げていくプロセスも楽しみにしていたのに、だんだん
この企画に不安がつのっていきました。
しばらくして、電話がかかってきました。
編集の方が、体調を崩してしまい、担当が変わったとの事でした。
その事のお詫びと、電話の方が、今後引き継いでいく事を、時間をかけて説明してくれました。
何だか変だと思っていたことが、その背景がわかり安心しました。
引き継がれた方は、とてもしっかりした方で、これからどうしていくのか方向も
はっきり説明いただけました。
こちらの考えも伝え、電話で何度もやり取りを重ねました。
やっと本を作っている実感が湧いてきました。
切れ目をつけることなく書き上げていた元の原稿に、コンピュータの進化に沿って
時代を区切りセクションをわけ、変化をわかりやすくしました。
大型コンピュータの時代、ネットワークの変化、PCの時代、ダウンサイジング、
モバイル・クラウドの時代と自分の経歴とも絡めてわかりやすい章立てを作りました。
冒頭では、コンピュータの基本要素、ハードの各構成とソフトウェアについて比較的
丁寧に説明し、後の章では、どの要素が変化したのかを説明しました。
もちろんメインは、社会はどう変わったかその変化が自分にどうふりかかったか、
を気持ちも交えて表現する事です。
各章のはじめには、その当時の時代背景がわかるような一文、自分自身のポジションなどの変化を加えました。
各章毎に、冒頭のハードウェア構成図に、その時代の変化を加えた図をそれぞれ
挿入してもらおうと、WORDで苦労して作図し、送りましたが、これはもっと早く
言ってもらわないと今からでは費用がかかってしまうと言われました。
これは、読者の理解を助けるためには、有効かと思ったのですが、時間がかかりすぎて
お願いするのが遅くなったのが原因ですが、やむを得ないと諦めました。
そうしてやっと原稿の修正を終え、出版社に送ったのは8月の末になっていました。
出版(8月)-4
65歳で退職し、さて何をしようかと、1年間漂った男の記録を書いています。
1年間の月ごとにメイントピックを決め、そのテーマに沿って前後の月も含めて
経緯を記しています。
8月のメイントピックは「出版」という事で、その始まりから書いていましたが
とても前置きが長くなってしまいました。
やっと、本来の7~8月、生活の中心が「出版」だった夏に、移ります。
契約を決め、3回の分割払いを選択し、最初に払い込んだあたりに、今後の出版までの流れについて書かれたものが送られてきました。
もとより、自分の書いたものが、世間に知れ渡り、たくさん売れるなどとは、片隅にも
ないといえばうそになりますが、こうやって書類が送られてくると、出版の体験をさわりでも味わえる事が楽しいと感じました。
こんな事でもなければ、一生、目にする事も無い世界でしたから。
一度作った原稿は手元にあります。
まず、これを読み直してみる事から、はじめました。
コンテストの締め切りもあり、慌てて提出した原稿です。
誤字はあるは、おかしな文章や書き換えの箇所など、これでは当選はしないと
いう箇所はたくさんありました。
自分で作ったものでも、丁寧に読むのは骨が折れます。
まず、全体のテーマを自分史の部分を中心にするか、コンピュータの歴史ないしは
解説を中心にするか。
読者はどんな人を想定するのか。
最初は、自分と同年代さらに、同じような職歴の人を考えていました。
その後で、ITはこれからの部分もあるので、これからその職種に向かうかもしれない若い人を想定しました。
また、出版社自体が、小説などを中心としているので、あまり技術中心に書いても読まれないとも考えました。
また、自分自身、コンピュータの話を書くのだけど、文系出身でもあり、技術の最先端にいたわけでも無く、むしろ技術と社会の接点にいて、そこに関わる人間を描きたいと思っていました。
書きたいものが、人に読まれるものとは異なります。
テクノロジーをテーマに描くけれど、読者はむしろあまり詳しくない人も多く含む。
であれば、わかりやすく書かなければならない。
出版社の方には、セクションごとに、専門用語を詳しく説明するコーナーを設けてはともアドバイスされました。
でも、説明を見ながら、本文を読むのも大変なので、図を入れたり、本文の中でできるだけわかりやすく丁寧にかみくだいていくしかないかと考えました。
考えてみるとコンピュータって古くて新しいテーマなので、その中に、変わるもの、変わらないものが含まれます。
そのあたりを、うまく書けば作品の軸になり、メリハリがつけられるかとも思えました。
ハードウェアとソフトウェア、ハードウェアの中は、入力装置と出力装置があり
その間に装置の収穫部分である演算機能(CPU)がある、CPUには記憶装置が
繋がっている。
これを冒頭に図で入れました。
このそれぞれの機能は今に至っても変わらないけれど、装置の中身は大きく変化します。
文系人間と言う立場を生かして、技術と社会、人間とのかかわりをどう表現するか。
単なる技術史ではなく、いかに奥行きや広がりを示せるか。
現在に至る課題と問題提起、過去にさかのぼってその始まりを示せないか。
序文と本文、後書きでその構成を明確にする事を考えました。
また、その変化の節々で、自分にはどんな影響があったのか。
どんな感情をいだいたのかも表現出来たらとも思いました。
そんな事をあれこれ考えていたのですが、出版社からはあまり連絡が来なくなりました。
契約が済んだら、放りっぱなしなのか?
何だか不安になりました。