出版(8月)-6

原稿の校正が上がってきた。

至る所に、赤が入っていたが、誤字脱字などケアレスミスで根本的な修正は

あまりなかった。

ただ、文章の言い回しなど微妙な変更が提案されていて、読みやすくなっていた。

さすがプロの仕事、自分に無いセンスと、おびただしい修正ができる根気の良さに

関心した。

電話で、実際に読んでみての感想なども編集の方に聞く事ができた。

作品中のあるシーン正確に振り返って、その表現が印象に残りますなどと

言われれば悪い気はしない。

とにかく、その全頁について、校正を受け入れるか、原稿のままでいくか、また別の表現を探るか答えを出していかなければならない。

四六時中、手には校正された原稿を持ち赤ボールペンを手に、答えを書き込んでいった。

中には、今更ながら、内容を大きく変えた箇所があった。

自分の経歴をベースに書いているので、事実なのだけれど、それゆえに全てを書けば

迷惑をかける人もいるかもしれない。

そこまでいかなくても不快に思う人はいるだろう。

本なので、そういった感情を交えた部分をすべて取り去ってしまえば面白くなくなる。

読者の興味は、すでに表面化しているコンピュータの進化の歴史だけでなく、裏にある

個人的な経験やそれにまつわる気持ちの変化にあり、作品に深みを与える大事な要素だと思う。

どこまで書くかそのバランスが難しい。

少なくとも固有名詞は出さない。人名はもちろん、地名についてもと考え本社の所在地

なども、具体的な地名を削除して、都心などの表現に変えた。

難しいのは、商品名で、コンピュータの歴史を書くのに、商品名やメーカーの名前を外すと、具体性や説明が格段に落ち、わかりにくくなってしまう。

客観的な事実だけなら、良いのだけれど、使い勝手など主観的な評価や、事実であっても、ネガティブな事が書きにくい。

誤解もあるかもしれないので、仮に訴えられたりしたらどうしようと急におじけづいたりして、商品名を下ろしてソフトウェアの種類などの一般名に書き換えた部分もあった。

編集の方に相談して、細かい具体的な部分については個別に、社内で法務の担当に確かめてもらったりした。

また、作品中に出てくる個人も、ここが、ライバルであったり、ぶつかったりした相手だと誰だと想像されるのも避けたいと考えてしまう。

長年、会社勤めしている中では、かなりショッキングな事や、不幸な事も目にする。

そういった事も最初は、そのまま書いていたのが、かなり表現を弱めたり、その箇所を全く削除したりした。

9月、10月は、このようにして過ぎて行き、11月のはじめに、編集者の方と

打ち合わせを実施した。

無ければないで、編集作業自体は、電話や郵送、メールのやりとりで進んでいたけれど

やはり直接会って迷った事などを確かめたかった。

また、出版の体験であれば、なおさらである。

という事で、出版社まで、出かける事になった。

一度、この話があった3月に、出版社には出向いていたけれど、実際の編集作業の

中でアポイントをとって打ち合わせをするのはまた臨場感が違う。

受付で、担当の方を待ち、打ち合わせのテーブルに案内され、あっという間に時間が

過ぎてゆき1時間はたっていたかと思うが、一生で一度の体験だったかと思う。

カバーデザインのサンプルも見せていただきとても作品にあったイメージを考えられていて、一度で気に入った。

気持ちよく送り出されて、帰りの道を散策しながら家路についた。

最後まで残ったのが、作品名と著者名だった。