出版(8月)-7

著者名はなかなか決まらずしばらく空欄にしていたけれど、もう決めなければいけない

限度に来ていた。

最初から本名は使わないつもりだった。

実際の話なので、徹底的に、個人情報はふせたかった。

でも、何も根拠のない名前も考えにくいので、本作の内容に沿った当て字?を考えた。

あまりリアリティーが無いのも、みっともないので、実際にありそうな苗字、名前の

組み合わせを同じ読みで漢字を変えていくつか考えた。

ところがインターネットで検索してみると、これがヒットしてしまう。

実在の人物に迷惑をかけたり、間違われたりするのも厄介なので、同じ読みになるのは

しかたないとして、漢字を変えてやっと落ち着いた。

次に、タイトルだけど、最初から、頭の中に浮かべていたものがあった。

編集の方に相談したところ、それはいいですねとはならなかった。

何かひっかかる事があるのかもしれない。

40年以上前から始まるITの大きな流れと、自分の経験を重ね合わせてどう

表現するか、それで読者の興味を引けるか5~6個も並べて、打ち合わせ時も、少し

時間をとって話し合ったがどうしてもしっくりこない。

編集の方も、最初に自分の中で決めていたタイトルを気に入っていらっしゃるのではないかと言われ、そうかなと思った。

結局、自分のこだわりかもしれないが、最初に考えた書名に落ち着いた。

「ITと私の40年」

副題には、「情シス・内側からの報告」としてよりわかりやすくした。

後は、配本を待つばかり、最初は1月の予定だったが、編集の方の交代もあり、また

自分としてもあまり慌てて決めたくない事もあり2月とした。

年が明け、配本を前にして、見本(著者用)が送られてきた。

印刷され、カバーもかけられ、書店に並ぶ前の、自分の成果物を見て満足していた。

家族にも無理やり見せて、感想を求める。

今までの口だけの話ではなく、実物が目の前にあると、それなりに驚く。

配本する書店のリストが送られてきた。

たった200冊だけど、それなりの有名書店を含む全国にまたがっていた。

近くの書店には5冊、それ以外は1冊づつだけど、自分の書いたものが、人の目に

触れる。

息子には、サンプルで送られてきた20冊から、我が家に来た時に直接渡した。

弟や、近所の飲み友達、前職の知人には、メールで配本リストを伝えた。

大学時代の友人たちとは、1月に飲む機会があり、配本リストを渡した。

それでも、10人を少し超えるぐらいだったと思う。

近くの本屋には、少し遠いけれど、自転車で確かめに行った。

少し、高い場所だったけど確かに、存在した。

大きな書店で、たった1冊の配本を見つけるのは結構大変で、ほとんどの知人は

アマゾンなどのネットで、購入してくれた。

新聞広告にも、たくさんの配本の一つとしてだけれど、しっかりと並んでいた。

配本日は2月10日、しばらくして、コロナの騒ぎが大きくなり、緊急事態宣言が発令され、書店も閉じてしまった。

タイミングとしては最悪だったけど4月か5月だったか、販売状況の報告では、

100冊近くにはいっていて、予定販売数量を150冊として、印税の連絡があった。

万が一と思った重版にはならないと思うけれど、国会図書館にも納品され、世の中に

自分の足跡を確かに残すことができたと思う事ができた。

夢は、夢として残すけれど、現実にも、自分の今後に役に立つこともあるかもしれない。