就職(12月)-2
退職した年の9月一旦、就職活動はその方法において限界を迎え、中断する。
ありがちな事だけれど、リタイア後の再就職はその人毎に異なる理想と、世間ほぼ
共通の現実の間で揺れ動く。
9月までの終活は、理想のまま突っ走ったと考えていた。
同じ業界の中から自分の都合で近隣に所在し、自分にむいていると思われるトップに
向けて手紙を送り付け、求人も無いのに顧問格での採用を求める無謀なものだった。
その後、ハローワークを通した地道な終活を重ねても結局は年齢ゆえに、就職先は見つからず、最初の無謀な試みも、事前に準備して狙いを定めれば、むしろ今のやり方よりは希望と一致する確率は高かったのではないかという気がするほど、その後の終活は
難航した。
まず、自分の出自であるITにこだわった事が、門戸を狭めた。
しかも、ITエンジニアではなく、事務職であるというところがさらに、難しく
それこそCIOを探すしかないと思われた。
私は過去のこららの右往左往をノートに細かく書き留めていて、今読み返すと再び
就職に向け、具体的な動きが残っているのは、退職翌年の2020年3月初旬になる。
面接日が3月なので、ハローワークに通い申し込み、1次選考を通過した事などを
考えると、実質的なスタートは1月頃だと思う。
最初のチャレンジは都内のある区の教育センターで小学生向けのプログラミング教室の講師だ。
これには、自分なりにピンときたものがあり、是非受かりたいと面接に臨んだが
なにせ子供に接するのは苦手だし、いまさらプログラミングというのもあって
面接では自分でだめだったとすぐにわかった。
ただ週2日というのは、収入が少なくとも魅力であった。
次の魅力ある仕事が見つからず、方向性を見失ったので、アドバイスを得るため
東京都のしごとセンターに向かう。
たまたま担当者がPMOであり、事務系のIT経験者としての可能性も示唆して
もらった。
当面のアプローチとしては、事務とエンジニアあるいは、SIerとのつなぎの仕事は
あるのではないかという事で、ハローワークの求人検索ページを2日に一度は
見るように勧められた。
当面のアプローチは、小学校のICT支援員、そしてパソコン教室の講師とした
次に見つけたのは、中央省庁での情報システム専門官これも書類選考は通過し
コロナ禍で閑散とする霞が関に、面接のために向かった。