出版(8月)-3

4月に出版社からの文庫本の提案も断った後、本を出す事の難しさを十分わかった上で

最後に確かめる意味合いも込めて別の出版社にアプローチする事にした。

ただ、これについては、今までの原稿のままで良いか、再度検討しなおす事にした。

自分としては、もともとコンピュータ雑誌を発行する出版社にアプローチしていたので

そこは除いて、ビジネス系であるとか、技術系の出版社など色合いが近いところを

リストアップしてみた。

その中で、以前ビジネス講座を受講した出版社も縁があるかと、編集部あてに手紙を

送った。

出版業界に全く縁のない自分なので、どこの誰にどうアプローチしてよいかわからず、

リストアップした各社のホームページを開いていった。

組織図を見て、どの部署あてに、手紙を出すか検討をつけながら、住所等を確かめていきました。

その中で分かったのは、自費出版のようなビジネスモデルはたくさんあって、おおての出版社でも、中には同様な展開をしている事でした。

原稿はこのままで良いのか、方向性の見直しもしました。

今の原稿は、社会に出て、前の会社に入社し、転職するまで一貫して関わってきた

ITの歴史と、自分との関わりをストーリーとしていた。

これは、自分としても納得していて、コンテストの主旨にも沿っていた。

ただ、ビジネス系、技術系いずれでも、あまり自伝ぽいものではなくて、より専門性を

強めたものにした方が良いのか出版の意味、読者層などを考え直しました。

出版の検討を進める一方で、その中で湧いてきたITに関する思いや疑問もより深く

調べようという気持ちが起こり図書館に通ったりしていました。

その調査、研究というと大げさですが、出版の方向とはどこか重なるようで、一体化

したらどうかという気持ちも湧いてきました。

そうこうするうちに出版社から返事が来ました。

就職と同じで、郵送で帰ってくるのはあまり良い返事ではないのでしょうか。

検討の結果、採用は見送る旨、丁寧に書かれていて、その丁重な対応で、なぜか

納得してしまい、他の出版社にあたる事も止めました。

 さて、話は少し戻りますが、コンテストに落選後、自費での書籍化、その後

コストを抑えた文庫本の話も断った私ですが、先方も粘ります。

さらに、社内を説得して値段を下げてくれました。

これは作品を評価してくれたのか、セールスの手段なのかはわかりません。

私としてもぎりぎりの判断で、多分、他にこのチャンスはないだろうと、覚悟を

決め家族に迷惑をかけないよう自分の口座(つまりへそくり)から出す事にしました。

家族は賛成してくれました。

仕事も決まらず、退屈そうにうちにいるのが目に余ったのかもしれません。

退職して、3カ月目もう6月も下旬になっていました。

出版(8月)-2

退職する2カ月ほど前だったか、コンテストで落選した出版社から電話がありました。

「選には漏れたけど、内容は面白いので、出版の道を探りませんか」

話を聞いて少し舞い上がりました。

人に褒められることはこんなにもうれしい事なんだ。

人間は承認欲求からは逃れられないんだと思います。

退職する3月には、出版社まで出かけて担当者から話を聞きます。

とても感じが良く、私の書いた原稿を読み込んでいる印象でした。

原稿の中で、言いたい事もポイント良くつかんでいて適格にほめてくれます。

コンテストの選には漏れたけれど、このままにしておくのはとてももったいない。

心の中で、これはセールスだと、言い聞かせながらも、出版社の知的で物腰の柔らかい若者から、自分の作品を評価される心地よさに流されそうになりながら、話を聞いていました。

最後に、出版については、費用がかかる事を説明されました。

2百万を超えていました。

退職を前にして、これは、ありえません。

しかも、65歳の嘱託としての任期満了ですから、退職金がでるわけでもありません。

これは断るしかありません。

頭の中で膨らんでいた夢は、目の前でしぼんでしまいました。

先方も、多分、すぐに了解できる話ではないと思っていたのでしょう。

穏やかに、対応してくれ、こちらも少しもいやな気持にならずに、出版社を後に家路につきました。

後日、正式な見積もりと、作品に対する講評がA42枚に渡って書かれたものが送られてきました。

さすが出版社、作品は正確に理解されていました。

足りない点もきちんと指摘していただいて、かえって満足した気分でしたが、

即、お断りしました。

これから、節約して生活していこうと妻にいった先からこの浪費はありえません。

例の出版に詳しい知人に話をしたところ、やはりといった感じで話をしてくれました。

有名人でも無い、大学の教授などという肩書もなく、出版しても売れはしない。

出版社もそんなリスクを負わない。

出版するなら、著者がリスクを負うという事なんだと理解しました。

この出版社は、こういった自費出版のようなビジネスモデルで近年大きくなったようです。

出版業界全体が苦しむ中で、読者ではなく著者から利益を得るという事も分かるような気がします。

ただ自費出版と違うのは、一般の書店に流通するという事、プロの編集を通すところでしょうか。

数多くの、名も知れぬ一般の人が書いた作品を、流通させ、中には、ヒットする作品が出てくる。そんなところだそうです。

 

数か月後、別の担当者から電話が入りました。

文庫本にしませんか。という話です。

最初の1000部から、200部に減りましたが、100万を切りました。

コストとリスクのぎりぎりのせめぎあいです。

自費出版を考えればこの金額は安いのかもしれません。

それでも、私の懐具合からはやはり手は出ません。

再度、お断りを入れました。

 

 

出版(8月)-1

8月のメイントピックは「出版」です。

これは退職後の1年の中で、心の中では大きなウェイトを占めています。

とは言え、自費出版のような形で、ごくわずかの部数を印刷したに過ぎません。

でも、形に残るものだし、何か落ち着かない心の置き場所の無い老後生活の中で

気持ちを湧き立たせ、1年間前に進む気持ちをつなぎ留めてくれました。

私の中での始まりは20年以上前に遡ります。

当時、仕事で壁につきあたっていた中で、ある出版社の「キャリアパス講座」という

企画に参加していました。

今の仕事で、同じように限界を感じていた人たちが集まり、会社だけに頼らず、あるいは独立して何かを始める力をつけようと集まり、例えば「本を書く」あるいは、「起業する」など、いくつかのテーマごとに、講師を招き講義を聴くだけでなく、質疑応答、自分でテーマに沿った発表を行いまたメンバーで議論するなど1年の中で何度かの集まりがありました。

その頃、文系出身ながら、企業の情報システム部門に勤務しており、理系的な仕事と少し距離感を感じる中で、情報システムと社会の関わりの観点で、文章をまとめた記憶があります。

講座が終了した後も、メンバーの皆さんとは異業種交流会として、何度も会合を重ね

ましたが、次第に付き合いも無くなっていきました。

ただ、この時、仕事に対する愛着と同時に感じる違和感のようなものを表現した経験が心のどこかに残っていたんだと思います。

その後、20年以上、同じ情報システムの仕事を続けていた中で、社会も、情報システムの仕事も大きく変わっていきます。

仕事は、都度細かくメモを取り、記録に残していたので、この仕事と社会の関わりも、時代とともに変化してきた事を感じ、自分がその中でどう立ち回ってきたのかも

含めてまとめてみようと思いました。

古いノートをめくっていつから、具体的なストーリーや、出版までのプロセスを考えていたか調べたところ、2016年4月にありました。

テーマ、ストーリーや出だしの文章まで書かれていました。

私が以前から、かかさず読んでいたコンピュータ関係の雑誌で、コラムなどを担当されていたある編集員の方に、大まかなストーリーと出版依頼を送ったのがよく17年、

返事はありませんでした。

ノートには、他にもビジネス系や技術系の出版社の名前が、あげられていましたが

これ以外には、実際はアプローチしませんでした。

職場で出版に詳しい人がいて何度か相談した事があります。

出版社の入り口付近には、本を出してほしい人たちがうろうろしていて社員たちは逃げるように社内に入っていくと言っていました。

それもどうかなと思い躊躇したかもしれません。

退職する数年前だったか、別の出版社ですが、自分史を募集していたので、応募しました。

当選すれば、賞金とともに、本として出版する事が出来ます。

しかし、結果は落選でした。

家族の絆、友人との繋がり(7月)

遅くに帰宅し、朝早く出勤する毎日でした。

土日には家族と接する事はありますが、これが今、毎日、朝から晩まで家にいる。

今までは時間がなくて話さなかったような事も、話す機会が増えお互いの絆は

深まるのか?

家族との距離をどうとらえるか、人によりざまざまと思います。

世間でよく言われる地域に繋がりを持たない夫が、退職後は常に妻の後を

金魚のフンのようについてまわるそんな風にはなりたくないと考えていました。

いわゆるぬれ落ち葉ですね。

また、好きでもないテレビ番組を無理して一緒に見て一日を過ごすような事も

したくない。

ただ、次の仕事が見つかるまでは、自分は働かず、妻だけが家事に追われている

状態も良くない。

それで朝食を終えると、まず食器洗いや片付けは、自分の仕事として3食、キッチンに

向かいます。

その後は少しは自分だけのの独立した時間を持とうと考え、リビングを離れ一人で

部屋にこもりじっくり時間をかけて新聞を読みます。

この他にも、すでに書いたように、毎日2時間以上は散歩に出ています。

午後になっても、見たいTV番組はそれほどありません。

結局、これで一日は過ぎていきます。

妻は、空いている時間はテレビの前です。

ゆっくり話し合う時間なんてそれほどありません。

かって、毎日を仕事に追われるそのわずかなひと時に、かわす会話の方がずっと深くて

意味があったような気がします。

私が仕事を辞めた時、専業主婦である妻も何か張り合いがなくなったような

事をいっていた。

考えてみると妻は、結婚のため、仕事を辞めて以来、一時を除き、ずっと家に

いる。

最初は、今の私と同じように、虚しさがあったのかもしれない。

それに長い間慣れて今がある。

同じ退職後でも、夫婦とも仕事を持ち忙しく充実した毎日を送っている友達も

いる。

一方で、仕事なんて全然未練が無い。この自由な時間のために、今までがまんして

仕事を続けてきた。待ちに待った自由な時間を、夫婦でいつも次の旅行のプランで

盛り上がる友もいる。

一番中途半端なのが自分かもしれない。

何かわからないけど不機嫌になり、周りの家族までつまらない気分に巻き込むなんて

と思うのだけど、抜け出せない。

再就職するまでは、このままかもしれない。

でも、逆にもしかしたら今この時が本当に自分と向き合っていて、今まで働いていたときは忙しさに紛れて現実が見えていなかったのかもしれない。

自分が本当に充実したと感じる納得できる習慣てなんだろう。

退職直後には、友人知人との付き合いも、結構あったけど、このコロナでの自粛の

中で家にこもり何もできない事が一層気分を沈ませる。

今まで疎遠になっていた友人たちとも、再び酒を飲んだり、旧交を温めようと思っていたが、これが意外と、こんなに時間があったのにほとんど実現していない。

忙しい中、わずかな時間を見つけて、友人との時間を過ごす。

そのことに価値を感じていたのかもしれない。

とは言え、1年が過ぎるこの頃、コロナで街に出れない中で、何人かの友人とオンライン飲み会で久しぶりの時間を過ごすことができた。

大きく減った小遣いも、無制限な付き合いにブレーキをかけているかもしれない。

そんな中でオンラインはリアルにかなわないけれど、経済的にも、距離が離れていても

帰宅を気にせず気軽にできる手段である事を発見できた。

毎日の散歩の2時間、コロナも少し落ち着いた今、最初の約15分、1500歩あたり

まで、妻と二人で歩く。

 

健康(6月)-2 散歩

散歩を最大の健康管理のツールと位置付け毎日8000歩を続ける事にしました。

1年と3か月たった今でも、この習慣は毎日続いています。

在職中は、通勤途上だったので続ける事は容易かったのですが、はたして近場で

飽きずに継続する事ができるのか?

まず、無理しない事を考えました。在職中の1万歩が必要か否か。

参考にウォーキングの本を読み8千歩で十分と書かれていたので目標を下げました。

結果的に、何も目的が無い中で毎日1万歩は少し厳しい事を実感し、8千歩だから

続けられたと思います。

幸い私の住まいは都会とは言えない少し歩けば山があり川もある土地なので

8千歩の範囲で、行ける場所は、自分の家から360度探して、毎日違う

ルートを歩きました。

ある時は、山道を、鳥のさえずりを聞きながらある時は、大きな川土手の広々と

した景色や土手の桜を見ながら、また小さな小川に沿った小道や、今まで

知らなかった竹林の小道を抜けると思いもかけない場所に出たり、長く住んで

きた地元の町なのに、こんなに知らない場所があると毎日が新鮮でした。

写真は好きなので、バッグの中にカメラを携えて、きれいな景色や季節の花々を

見つけるとカメラを向けていました。

地図をコピーして、自分が通った道を赤鉛筆で塗っていきます。

すると、自分の家を中心に放射状に血管のように、線が描かれて行きます。

それも最初のうちは楽しみの一つです。

今までなら、市役所やちょっとした用事は車を使っていたのが、どうせ8千歩

歩くのだからと、徒歩に切り替えていき車はめったに使わなくなりました。

記録したり測ったりという事も励みになります。

以前から使っていた万歩計ですが、1週間分は、遡って表示できます。

ただそれでは、意欲に結びつかない。

データ自体は1か月分程度保持できるので、1か月ごとにパソコンにデータを

吐き出し、専用のソフトで表やグラフとして管理できます。

また、鉛筆で記入していた散歩ルートですが、スマフォでも記録できます。

GPS機能を使いGoogleMapで、歩いたルートを毎日記録できるのです。

歩きに限らず、車でも電車でも地図上に記録されて行きます。

体重も、スマフォと連動したヘルスメータで、毎日記録し、1年間順調に

低下していく様子をグラフで確認していました。

こうした事は、やるきを出させてくれるものです。

しかし知らない道を開拓すると言っても歩いて行ける範囲は限られています。

恐れていた飽きが少しづつ忍び寄ってきました。

また、「退職したひまなおじさんがいつも近所を歩いている」と思われないか

などと今まで感じなかった気持ちが急に襲ってきたりしました。

町を歩いていると皆、働いています。

みんな目的があって、動いているのです。

それに比べて私は、何かただふわふわと町を漂っているのです。

歩く景色も同じ町の中なので、それほど変わり映えしません。

電車に乗って以前のように都心に出たい。

無性にそう感じるようになりました。

たまには、そうしました。

新宿や渋谷に行き都心を散歩する。これは地元を歩き回るのとは違う

楽しさがあります。

しかし、小遣い1万円だと、電車賃がばかにならない。

以前のように定期があるわけではないのです。

定期はなんとありがたいものだったのか。

地元を歩くだけなら8千歩であろうが1万歩であろうが、お金はかかりません。

そうこうするうちに、無理やり目的を作る事にしました。

図書館です。

近くに、分館があるのに、わざわざ中央図書館まで、歩いて30分かけて

いくのです。

往復で1時間、中を歩き回るので、ちょうど8千歩程度になります。

こうして、毎日、中央図書館まで徒歩で「通勤」する事になりました。

図書館にいけば、似たようなおじさんたち(老人かな)がたむろしてます。

気に入った本を探し、時には館内の喫茶店でお茶を飲む。

大した出費ではありません。

おにぎりをつくってもらって通った事もあります。

そうして、決まったルートを歩き毎日図書館に通う事が、習慣として定着

しました。

これができなくなったのが、今年です。

コロナの蔓延、緊急事態宣言の発令で図書館も長期閉館となりました。

しかたなく図書館までの同じ道を、ただ通り過ぎるだけのために、毎日

歩き続けました。

これもつらいと言えばつらかった。

ただこの時は、別の目的がありました。

マスク探しです。

経路上の、いくつかのドラッグストアで、毎日、マスクやアルコール

除菌液、時には小麦粉など、頼まれたものを小まめに探すのが日課になりました。

マスクも市中に出回りようになり、今度は日用品の買い物を私が一手に引き受ける

ようになりました。

買い物も密にならないように、一人で、家族を代表して、書かれたメモをもとに

すいている時間帯に、散歩の最後の時間に、あてるのです。

多少の意義は認めてもらえるかと感じながら買い物を続けつつ、最近は図書館も

部分的に開館しているので図書館通いも再開しました。

ただ、長いをされないように椅子などが撤去されているので立ち読みです。

それでも、毎日図書館に通う今の私です。

 

 

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健康(6月)

家計・年金での項目を調べ、やはり70歳までは、働こうと思った私でした。

その前提にあるのが、健康です。

幸い、これまで大きな病気をした事もなく、入院の経験もほとんどない私ですが

目に見えない心配はありました。

一つは脳動脈瘤、もう一つは大腸ポリープです。

たまたま発見されましたが、今すぐ心配なわけではないけれど、悪くなっていないか

経過観察は必要です。毎年、あるいは3年に1回程度の検査をしています。

人間ドックは、今まで健保組合の半額補助があったので、毎年受けていました。

しかし、退職後の2年の延長したにも関わらず、補助は2年に1回となってしまったので、今年は健康診断にとどめました。

健康について、今まで最も気を付けているのは、肥満で、在職中は毎日1万歩を

歩くことを習慣づけてきました。

これは、勤務先の駅からバスを使わず、30分往復で1時間歩くことで12年間

継続する事ができていました。

これを継続する事が、私の最大の健康管理策と位置付けました。

在職中は、勤務先が遠かったため、帰宅が遅いため夕飯は10時頃になり、食べて

すぐに寝る事になってしまいました。

そのため、これだけ歩いても体重は一行に減りませんでした。

それが、退職後散歩を毎日8千歩続けただけで、体重は、少しづつですが着実に

減少し、1年後には4キロ程度減らすことができました。

ほぼ理想体重なので、今は下げ止まっています。

ズボンも以前から使っていたものはゆるくなり、ベルトで締めますが、穴を追加

しないと落ちてくるようになりました。

何も用事は特にないのにどうように飽きずに散歩を続けられたか。

これはいくつかの工夫はありました。

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退職後1年でどんどん体重が低下

 

家計・年金(5月)-5

通常収支

普段、それ程贅沢をしていないつもりだったので、項目別にいくらまで

減らせるか話し合った時、それぞれ大きく減らす事は難しい事でした。

しかし、70歳までの5年間は何とか減らす事にしました。

それでも、最低の支出からははるかに遠く、これが70歳ではとても年金だけでは

やっていけない事を実感しましたが、無理やり減らしたプランは作りました。

特別支出

通常の支出はなんとかなっても、通常ではない支出は発生するものです。

これは、あらかじめ収支プランを作る事は難しく、この計画からはみ出す事は

想定していました。

これについては、貯金を崩すしか無いのですが、やはり無制限に使う分けにいかず

せっかく項目別に支出の基準を決め守ったとしても、特別支出だと言って

使ってしまえばどんどん貯金を取り崩す事になってしまいます。

毎月、つけているEXCELの記録では、通常支出とは分けて、特別支出も記録

するようにしました。

私の過去1年の例を挙げるとつぎのようなものになります。

4月;健康保険料一括払い

5月;弟の還暦祝い

6月;一泊旅行(退職記念)

7月;ドア故障修理代

8月;母3回忌、エアコン故障買換え

9月;妻の実家へ里帰り

10月;台風で屋根の一部が破損

この他にも少し大きな支出がありましたが、必須のものでした。

合計で、100万特別支出として初年度は出ていきました。

通常支出が、計画どおりにやりくりできても、結果としてこの

金額の大半を、定期を解約して支払わなければなりませんでした。

貯蓄

市役所でのセミナーに戻りますが、平均的な家庭で最低の生活費は22万円/月

ゆとりある生活費は、月35万円との前提にたてば、とても年金だけでは

足りない事が示されていました。(ここでの仮定は、60歳退職として)

85歳まで生きたと仮定して、月22万円でも必要資金は合計で6600万円

これに対して、年金収入は約5280万円だそうです。

差し引き1320万円足りません。

この例では、平均貯蓄額が、1000万円として、やく320万円を稼がなければ

ならないとなっていました。

この仮定は、60歳退職なので、65歳退職の私の場合は、少し違います。

これも、平均的世帯ですが、60~65歳の平均就労所得を424万円とすると

5年で2120万円になります。

320万円と比べれば、大きな違いである事は確かです。

ただ、在職なので、年金が減額され上記と同じ収入には達しないかもしれません。

また、60~65歳までの支出額も人によって異なります。

この仮定での平均的な家庭の貯蓄額は1000万円となっていました。

昨年だったか、政府の広報で、年金だけだと生涯で2000万足りなくなるので

貯蓄を勧めた事が取り上げられ話題になった事がありましたね。

相続など、家庭によって様々な事情があり、細かく分けていらっしゃる方も

いると思うので、きちんと集計し確認する事をお勧めします。

さて、最低の生活費ではなくゆとりある生活費にした場合はどうなるでしょう。

85歳までの必要資金は、1億500万円に膨らみます。

年金収入、預貯金は同じなので、これに加えて必要準備金は4220万円に

なります。

65歳に直すと、このうち2120万円は、給与収入です。

残りの2100万円を、65歳からの、再就職で稼ぐか1000万の貯蓄

想定に加算して貯金が3100万円あればイーブンになります。

さらに、この仮定では85歳までしか計算されていません。

女性の平均年齢は90歳ですし、我が家の場合は、5歳の年齢差があるので、

私の死後10年の支出を、年金でまかなえるか、貯金が残っているか。

ここがよくわからないところです。

収支計画の見直し

さて退職後1年たって計画どおりにできたでしょうか?

おおざっぱに言えば、通常収支ではほぼ計画どおりでした。

但し当初は予測不可能で、計画にも入れていなかった特別支出は

100万にも達し、そのほとんどを低預金を取り崩さなければ

ならなかった事です。

毎年、同じ傾向だとすれば、現在の貯蓄は何年持つか計算はできます。

これからある程度の確率で起こりうることは、長期プランとして

出来る限り作成した方が良いかもしれません。

予定どおりとした、通常収支でも大きな見通し違いがありました。

公的支出の計画が漏れていた事です。うかつと言えばうかつ在職中には

わからないと言えばわからない事ですが、税金は予め収入から引かれていた

のが、退職後は別途支払わなければならない事、市民税、介護保険料、健康保険料

などそれぞれ処理が別々で手続きしなければならない事が大きな変化です。

今まで別に払っていた固定資産税、自動車税だけで予算を組んでいたのが

大きな見込み違いでした。

ただ、最初の1年だけで、2年目からは、一部年金から徴収されるようになります。